PRBC
パシフィック ライディングホース ブリーダーズ コミュニティ
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 「馬をトレーニングに、預けてみませんか」。 改造計画は、エルドラドランチのトレーナー土岐田勘次郎が小林に発したこの一言から、本格的に始まった。PRBCの設立準備が進んでいた2007年秋のことだ。

 小林がレイニングに注ぐ静かな情熱は誰もが知っているところだ。早朝からランチを訪れ、黙々と愛馬にまたがる姿はよく見かけられる。クラブハウス内でも、土岐田が口頭でインストラクティングする際には熱心に耳を傾け、納得したようにうなずく。
 しかし、ここから先が問題だった。話をよく理解したかのようにうなずく小林が、ひとたび馬にまたがると、それが嘘であるかのような乗り方をしてしまう。土岐田にはそれが長い間、歯がゆかった。

 例えば、スピンのトレーニング。「スピンに入る際の馬の最初の一歩が大事」と注意しても、小林はその言葉に心を配らず、何回も続ければいつかは上手に回るようになると考えているかのように、軸のぶれたスピンを延々と続けてしまう。結局、Grandeに間違ったスピンを覚えこませる結果となっていた。

 スライディングストップの場合でも、ストップに至るランダウンを確実にこなしていくことが重要であるにもかかわらず、滑るというパフォーマンスそのものに気を取られているかのように、何度も繰り返すだけに終わっていた。

 普段の乗り方は結局、大会で結果となって現れた。小林はそれまで幾度となく、オフパターンによるスコア0を重ねていた。せっかくのモチベーションを長い間、結果に結び付けることができずにいた。

 こうした失敗を繰り返していては、モチベーションがいつか下がりかねない。そこで取られた戦略が、Grandeをスムーズにスピンやスライディングストップができる馬に変え、小林を乗せることで成功体験をさせて、小林の意識や考え方そのものを変えてしまおうというものだった。

 当の小林は、土岐田の「小林さん、優勝しようよ」という言葉も手伝って、馬を預けることに反対はしなかった。ただ、預けた後の変化を十分に実感したいと思い、預ける前にもう一度、自分だけで乗ることを申し出た。「アメリカ遠征から帰ってから、お願いします」。小林はNRHAのFuturityに出場するために渡米する土岐田に、こう伝えた。

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