PRBC
パシフィック ライディングホース ブリーダーズ コミュニティ
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Vol.2

 自馬を持って大きく変わったのは、調教に興味を持ち始めたことだ。

 とは言え、とても調教と呼べるものではなかった。自分では考えているつもりだったが、例えば、ディパーチャーでいきなり強く脚を当てておきながら、馬が出ない、あるいは出過ぎると叱るといったことが多かった。しかも、その叱り方が半端ではない。虐待と呼ばれても仕方ないものだった。

 自分で馬の反抗を作っておきながら、徹底的に叱るという悪循環。「見ていると、吐き気がする」。土岐田からそう言われたこともあるほどだ。今思えばひどいものだが、当時はそれが正しいやり方だと信じて、疑いもしなかった。

 その考えが覆されたのは、翌2004年。レンタル馬に乗って、いつものように力任せに叱りつけると、馬がしゅんとおとなしくなった。1鞍でいい調教ができたと満足した。次は、そのころ乗馬を始めていた尚子が乗る番。石山は、尚子が自分の調教の成果を感じて喜ぶだろうと思っていた。ところが、尚子が乗り出して数分もしないうちに、馬は制御不能となり、馬場の外へ。

 衝撃だった。自分が正しいと思う方法で調教していたが、それがまったく間違っていたのは明らかだった。力で屈服させたつもりでも、ライダーである石山との信頼関係が全く結ばれていなかったのだ。帰りの車の中で、尚子と話し合った。「力に頼らないやり方で乗ってみたら」と提案され、これまでの乗り方を封印することにした。力任せに叱りつけたら下馬する。尚子からこんなルールを課された。

 それでも、大会では派手なことがしたかった。サークルでは思いっきり脚を入れて、スピードを出す。試合後、ビデオを見ながらの反省会で、土岐田から、「ショーイングは馬を見せる場所でもある。これを見て、欲しいと思う人がいますか」と注意されることもあった。

 転機が訪れたのは、2005年後半。土岐田から、プログラムをよく考えて1鞍を乗るようにアドバイスされた時だ。具体的には「診断」「調教」「確認」の3つを意識するように言われた。つまり、まず馬の状態を診断し、理想と異なるところがあれば調教で直し、直っているかどうかをマヌーバの中で確認するという作業だ。この作業によって、1鞍1鞍少しずつ理想に近付けていく。これをやっていけば、大会でもスコアが出せるようになると言われ、なるほどと納得できた。すでに、現在のSmart Wimp Olenaに乗るようになっていた。

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